提言

下北半島に生息するニホンザルの生態調査、特に、脇野沢村を中心とする半島南西域の調査は、1960年代初頭から現在(2001年)に至るまでの約40年間、継続して行われてきました。その初期のころは、京都大学理学部動物学教室の研究者が中心の小規模な調査でしたが、やがて日本モンキーセンターや京都大学霊長類研究所などが加わり、その後「下北野生動物研究グループ・ニホンザル班」として、さらに1988年からは、基盤や体制を変革した現在の「下北半島のサル調査会」となって、継続調査を遂行しています。群れの数,個体数,構成,行動圏,生息分布,食物など、雪国下北に暮らす野生のサルの生態を長期にわたって途切れずに調べ続けていることは、世界的にも大変珍しく、貴重なことと自負しています。また、下北半島南西部、脇野沢村でのサルと人との接点についても、餌付け当初からサルの被害が社会問題となっている今日まで、その動向を見続けてきました。私たち下北半島のサル調査会は、世界最北限のサルの暮らしぶりを身近に知るようになると同時に、人にとってもサルにとってもけっして好ましいとは言えない不幸な両者の関わりの歴史も見続けてきました.。

1970年に下北半島のサルとその生息地が国の天然記念物に指定されました。1960年代には、大間町,佐井村,風間浦村の半島北西部の山間域と半島南西部の脇野沢村の海岸域のごく狭い地域に計6群から7群、150頭から200頭のサルが生息していました。北西部地域で青森営林局による有害物質を多量に含んだ除草剤の空中散布という環境汚染もあり、天然記念物指定に拍車がかかりました。しかし、天然記念物の指定は何も絶滅回避の保護対策からという理由だけではなかったのです。サルそのものが持っている人々を感動させる魅力が、文化財として充分に価値あるものと評価され天然記念物に認められたのです。全国で天然記念物に指定されたサル及びその生息地は下北を含め6か所ありますが、6地域全部に共通するのは、当時餌付けし野猿公園化していたところでした。そのころはまだレクリエーションの場が少なく、野猿公園は手ごろな娯楽施設として市民権を得るまでになっていました。そして、そこにいるサルやそのサルが暮らす自然に人々が触れることで、自然や動物保護への関心が高まり、こころが潤い豊かになるだろうと期待される場だったのです。

天然記念物指定以降、下北のサルは個体数も群れの数も増加していきました。それに伴い、かれらの分布域も広がリました。本会がまとめたところ、下北半島で群れは17群、個体数732頭+α(1998年度の調査報告書)でした。また、2001年の現在では、22群~23群、個体数も約1000頭と推定しています。増加の理由は、森林の伐採や人工造林といったサルの生息環境の改変、暖冬など好適な気象条件下での森の恵みの安定とサルの死亡率低下、高栄養な農作物への依存、脇野沢村での餌付けなど、いくつもの要因が複合的に関わった結果なのですが、最大の原因は天然記念物に指定し、手厚く保護されてきたことです。天然記念物指定で下北のサルの絶滅は避けられましたが、群れの数や個体数の増加に伴う新たな問題と直面しなければならない情況になってしまったわけです。感動を与えてくれるはずの国の宝物が、全く正反対の憎しみや憎悪を地域住民に与える結果となってしまったのです。

しかし、天然記念物に指定したことが間違っていたわけではありません。下北のサルには国の貴重な財産として相応しい価値があると多くの人が認めています。国や県はサル対策として巨額な資金を投入してきましたが、サルや自然の価値を認識する施策をとらなかったことや、下北の地域住民が育んできた生活観を考慮しなかったことに問題があったのではないでしょうか。

本会の試算では、2015年から2020年までには、むつ市以西の下北半島全域にサルの分布が広がるだろうと推測されます。もちろん、群れの数も個体数も増加します。そして、最も懸念されるのは、分布域の拡大に伴うサルの農作物採食の広域化です。今までサルとは無縁だった地域にもサルが出没し、人とサルとの不幸な関係が下北全域にまで及ぶことが高い確率で予測されるのです。

「ずるくて、ずるくて、殺してやりたい」、「憎らしいし、どうにもならない」。これは、農作物被害だけでなく、民家に侵入といった被害を受ける脇野沢村の住民の声です。民家侵入は、脇野沢村の海岸線にある集落約120世帯のうち、62世帯で確認され、特に九艘泊地区ではほとんどの民家が被害にあっています(2000年1~8月村教育委員会集計)。以前は、サルに憎しみを持つ人でも、「被害さえ出さなければ、山にサルが100頭でも1000頭でもいても良い」と言っていました。「天然記念物指定を解除してほしい」、これは、かつてサルの担当をしていた役場職員の言葉です。今や、悠長で現状にそぐわないサルの被害対策では、村人が納得しないまでに悪化してしまっています。

『被害さえ出さなければ、サルを認める』、この思いが下北の地域住民の本音でしょう。厳しい自然環境で生きる者同士、同じ風土を共有し続ける者同士、その生を認め合うのは自然な気持であり、被害に悩まされながらも命あるもの、サルへの慈しみと寛容は、崇高な思想ではないでしょうか。しかし、下北の風土が育んできたこのような思想が、天然記念物だからといって手も足も出せない一部のサルによって、崩壊しつつあるのが現状です。

下北半島のサル調査会は、民家侵入にまで及ぶサルの被害の実態とその広域化を危惧し、地域社会の変化と自然の変遷、住民の価値観の多様化、サルの継続的な生態観察,研究などから、下北半島で人とサルとの長い時間軸を通した共存・共生のあり方を求め、以下のことを提言します。この提言は、下北半島に暮らす住民とサルとの間に古来存在したはずの緊張関係という見えない境界線を作ることで、両者の「すみわけ」を実現しようとするのが目的です。

1.農作物被害の軽減と民家侵入の防止のため,被害住民の自己防衛を認める。

現行の鳥獣保護法・文化財保護法では、被害住民が天然記念物のサルを捕獲・駆除することは固く禁止されています。この提言は、法律を改めることを求めているのではなく、現行の法制下でも住民の財産や生活が脅かされる場合には、たとえ天然記念物であっても、被害住民が自己防衛できる体制を望むものです。例えば、捕獲や駆除の申請は市町村とし、捕獲方法を限定し、被害住民が実行にあたる。サルの処分は、実行者が最後まで責任を負い、市町村へ結果報告を義務づける、といった内容で、日々の生活の場で被害を受けたとき、一人一人の住民の判断で実行できる現実的な方策だと考えられるわけです。
ただ、自己防衛を認めるとはいえ、不測の事故や人間をはじめサル以外の動物への影響を十分に配慮する必要があり、例えば、トラバサミ・毒物・銃などによる捕獲や駆除を禁止する。多量捕殺など著しくサルの生態を乱す行為を禁止する。個人で自己防衛できない場合は、同地区の住民の協力を得て共同作業として対応する、といった一定の規制は必要でしょう。

2.下北半島のサルは天然記念物としての対応をはかる。

同時に、行政機関は、サルの個体数の減少や生息環境の改変などで、下北のサルの絶滅が懸念される場合、絶滅を回避する保護政策をあらかじめ視野に入れておく。農作物の被害状況の把握と捕獲ならびに駆除個体の情報の収集に努める。生息分布状況を継続調査し、下北のサルの現状を常に把握し続ける。地域住民へサル情報を提供し、地域住民と一体となったサルの被害対策がとれる環境づくりに努める、といった諸施策を実行することが欠かせないでしょう。
また、商品としてのサル取引などは現行通り全面禁止にする。被害住民以外による捕獲や駆除は禁止にする。天然記念物指定を堅持し、その理念に基づき、サル及びその生息地の保全を図り、他種との交雑の防止にも努める、といったことを実施する必要があります。

3.共存・共生への土壌の形成。

以上2点を基盤に、将来のあり方として、すべての関係機関や地域住民の合意のもとに、野外博物館構想を再検討することが望まれます。すなわち、下北半島全域をオープン・フィールド・ミュージアムと認識し、自然観察や研究などを通して、子どもたちや青少年の体験学習や研修の場として活用する。自然を的確に捉える人材の育成に努め、同時にモニター化を推進する、といったことを地道に展開していくことです。

私たち下北半島の調査会の提言は以上です。本会のメンバー一人一人とサルとのつきあいに濃淡はあるものの、かれらからたくさんのことを学んできました。時には助けられたり、時には洞察力のなさに打ちのめされたり、生活の糧として今の自分がサル抜きでは考えられない調査員もいます。そんな恩人であり、友であり、師である下北のサル、その捕獲や駆除を認めること、それは本会にとって断腸の思いで下した決断です。ただ、断るまでもないことですが、捕獲や駆除を奨励しようとしているわけではありません。天然記念物といえども、生活に支障をもたらす時には、被害を受ける住民の自己防衛を認めるべきだということです。貴重で大切なサルですが、同時に地域住民の日常生活も尊重されなければなりません、そして、なによりも北国、下北の風土に培われた人々の自然への思想や自然観を大切にしなければならないと思うからです。国や県が保護管理するサルから、住民の一人一人が判断できる、地域の人々のサルに戻したいのです。サルの保護も被害対策も、今後、いくら見事な施策を提示し巨額な税金をつぎ込んでも、おそらく根本的、抜本的な解決に至ることは決してないでしょう。自然保護は地域住民一人一人のこころの反映として具現化されていかなければ持続性、継続性がないからです。「被害さえ出さなければ、サルを認める」、下北の人々にこの思いがある限り、長い将来にわたっての人とサルとの良好な関係が取り戻せると、私たちは確信しています。